2011年3月11日

あれから10年…

10年前の3月11日、

私は友人と新大久保のコリアン街のサウナへ行っていた、

突然大きな揺れ、

一緒にいた友人が驚く程に怖がり、

そんな彼女の方が私は地震よりも怖かった…

揺れが少しおさまった時に古いビルの非常階段を使い一階迄降り、

建物が崩れ落ちても大丈夫な道路の真ん中まで逃げた日の事を今でも忘れない…

当時私は新宿中央公園近くの32階の高層マンションに住んでいた、

当時付き合っていた彼は社員の無事を確認出来るまで帰れないと言い、

1人で余震を感じながら過ごしたあの晩、

私自身の被害は倒れた食器棚だけだったのに、

一人、眠れぬ夜を過ごしながら

なんだか泣けて来た日の事を忘れない…

突如襲った大地震、

一夜明け、ようやく彼が帰って来た、

福島が大変になっている事を知り、

物資を配達すると言い、私のことを気にかけるどころかw

会社のトラックを自ら運転し、

コストコに向かい、

ありとあらゆる避難所に必要であると思われる物資を買い込み、

私を置いて福島へ向かっていった当時の彼、

正義感に溢れる人だったな…と毎年この時期になると思い出す。

正義感溢れる素敵な人だったと、

今だから言えるけれど、

当時の私は未熟で、私のことを放ったらかしで傍にいてくれない事が不満だった…のも覚えている。

一度福島へ向かい、その場を目にしたからだろうか?

電気関係の会社を経営していた昔の彼は

放射能がいっぱいの人が嫌がる仕事を請け負い、

家を開けて福島へ行くことが増えた、

私は寂しさを埋めるかのようにヨガに没頭した、

放射能いっぱい浴びて、

浴びた数値がMAXになったら戻って来て、

また数日したら向かう…をくりかえす、

家に戻って来た時には

24時間以上眠り続け、なぜだか日に日に顔がムーンフェイスのように腫れていった姿が忘れられない…

一体何が起きていたのだろう?

薄っぺらな防護服、

一定の放射能を浴びたら戻って来て、

また向かっては戻って来て…をどれくらい繰り返していたのだろう?

詳しく思い出せないけれど、

当時の私達は完全にすれ違っていたように感じる、

途中で止めておけば良かった…気もする、

止めてもきっと行ってただろうな…とも思う、

直接の死因に放射能が関係しているかどうかは分からないけれど、

健康だった彼が消耗して行ってたのは事実、

もっと早くに異変に気づけていれば…

当時私は楽観的で何も考えず生きてた、

気づいていても、そのことを大事に思わず、放ったらかしだった…

私も彼と一緒ね…

今だったらもっと相手に寄り添い、

色々調べたりちゃんと考えたり

周りの人に相談したりしながら

止める事だって出来たのに…そんな後悔が残る。

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

多くの犠牲者の方達がいる、

今もなお、何らかの影響を受けて苦しんでいる人もいる、

あまり公にされてはいないけれど、

きっと放射能の影響で苦しんでいる人達も少なく無いのだろうな…と

私はなんだか亡くなった昔の彼の姿が頭の中に残っている分だけ

想像がついてしまって苦しくもある、

何も出来ない自分がもどかしい、

チャリティーヨガをしている人達の姿が眩しい、

眩しいと感じ、

私も何か出来たらと思っているのに行動に起こせない自分がもどかしい…

何が必要とされているのだろう?

何が出来る事なのだろう?

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

2012年12月28日にあの世に旅立った、

2年もしないうちにあの世へ逝ったんだな…

今までゆっくり考える余裕が無かったからその事にも気づけなかった…

もっと長い時間だったように感じていたけれど、

約12年、楽しかった時間の方がうんと長いのに、

最後の寂しかった時間の方が長かったようにも感じる、

亡くなって9年、

この時期になると、

どうしても思い出す、

今も尚、当時のトラウマを抱えて苦しんでいる人達にいつかトラウマ解消ヨガをするのが私のひとつの夢、

大切な人を突如失った人達、

目の前で苦しんでいる人を救えなかった無念、

大切な人の死を受け入れること、

私自身もとても時間がかかった、

完全に消え去らない過去の哀しみや苦しみ、

私は沢山の方の助けと、ヨガがあったからこそ乗り越える事が出来た、

乗り越える事が出来たと思っている反面、

まだ記憶の片隅に残っている無念、

完全に消し去る必要も無いと今だからそう思えるようになった、

マイナスに感じる、消し去りたい過去の記憶と共に生きていけば良いんだと今だから思える、

だって、

だからこその経験を沢山して今の私がいるから、

どんな時も誰かが優しく寄り添ってくれていた、

ひとりぼっちになっちゃった…

そう感じて1人泣いていた時でさえひとりぼっちでは決して無かった…

自ら人を遠ざけたいと思った時でさえ、

本当の意味でのひとりにはならなかった、

大丈夫、人は優しい、

必ず誰かが貴女を思っている、

孤独を感じて1人の世界をつくりあげないで欲しい、

深い呼吸をして、

見渡してみて欲しい、

手を差し伸べてくれている存在を自ら見ないふりをするのはやめて、

勇気を出してその手を掴みに行って欲しい、

そんな私、

今年も何も出来ないまま一夜が明けた、

昨日よりも今日の方が私は苦しい…

だって、揺れたのは昨日だけれども、

現実を受け入れたのは次の日だったから…

もっと私に勇気と力があったならば、

こんなblogを書いているだけでなく何かしてあげることが出来たのにな…

無力さを思い知り、

きっといつか私もその土地に足を運びたい、

そして私に出来る事をしたい、

今は思いだけで何もしてあげられなくてごめんなさい…

突然大切な人を失った方へ…

無理に哀しみや苦しみを消し去る必要は無いって伝えたい、

私達遺された人はその想いと共に仲良く生きていけば良い、

何年経ったって、悲しいものは悲しい、

会いたい気持ちだってあって当たり前、

後悔だって残ってても良い、

それが生きている証拠だもの、

この10年、ずっと悲しかったり苦しかった訳ではないですよね?

美味しいものを食べたり、

人の優しさに触れたり、

生きているからこそ味わえる素敵な経験もしていますよね?

大丈夫、

傷は少しづつ癒えていく、

私達人間に与えられた才能のひとつ、

忘れるという才能が哀しみや苦しみを少しづつ消え去ってくれますように🍀*゜

泣きたい時は大人だって泣いちゃいましょう😁

想いを溜め込まず、時に吐き出しちゃいましょう、

大丈夫、何年経ったって哀しいものは哀しいで良いじゃない❤

だからこそ得た優しさを大切にしましょうね💕

ご冥福をお祈りします✨

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